蜷川幸雄三回忌追悼公演『ムサシ』の感想

久しぶりの観劇をしに、シアターコクーンまで行ってまいりました。

『ムサシ』は2回目です。前回は2010年のNYバージョンで、「恨みの鎖を断ち切る」という部分に強く共感を得たのですが、今回は全体的なテーマに深く共感を覚え、いい大人が鼻水を垂らしながらオイオイと泣いてしまいました。

ムサシ ロンドン・NYバージョンの感想【ネタバレあり】

追悼にふさわしい演出

『ムサシ』は、2016年に亡くなられた蜷川幸雄さんが演出をして、何度も再演されている劇です。4年前に、藤原竜也さんが劇中の宮本武蔵と同じ年齢(35歳)になったら『ムサシ』をやろうと話していたらしいですね!

蜷川氏は旅立たれてしまいましたので、今回は吉田鋼太郎さんが演出をしています。2010年の時も、テーマが深い割には大笑いをさせていただきましたが、前半は鋼太郎さんの行き過ぎた(?!)アドリブでガハハと笑わせていただきました。だからこそ、後半の重要なシーンがずしりと重く伝わってきました。

しっかりとしたテーマがあるだけに、下手をすれば思い空気のまま終わってしまう劇だと思います。それを、本筋から外れることなく、ところどころでコミカルに自由に演技を楽しみ、観客を引き込む技は、蜷川氏の演出と何ら変わりがないのかなと感じました。

まだ、始まって日数がたっていないこともあり、それほど温まっていないなかでの上演でしたが、私としては観劇ができて大満足でした。観劇熱が再燃しており、今年は観劇イヤーにしたいと思っています。

命の大切さをあらためて知る

前回の観劇は、東日本大震災が起こる前年でした。この時も生きていることの素晴らしさについて考え直したものですが、それ以上に世界各地で勃発する戦争について考察し、「自分ができることは何だろう?」などと壮大なことを考えていました。ところが、この翌年に、想像もしなかった大震災が起こり、戦争以前に「生きる意味とは?」ということについて再び考えさせられる日々が続きました。

幸いにも、私の友人や知人で命を落とした方はいませんが、ボランティアや旅行で何度も被災地に足を運び、生かされていることの意味を強く考えるようになりました。あれから、7年の月日がたとうとしていますが、少しは成長した自分に、成仏できない霊たちが再びガツンとメッセージを送り込んできました。

命を大切に。当たり前だと思っていた日常が、どれだけ幸せだったか、生きている時にはわからなかったのです。

現在、年齢は41歳です。何ごともなく生きられるとしたら、あと30〜40年くらいは人生が残っています。あらためて命の大切さについて考えさせられました。どのように生き、どのように死ぬのか、さらに明確になりました。一昨年から勉強していることも、それにつながるのだろうと思い、活動の熱が上がってきています。少なくとも、自分自身が納得できず、成仏できないような死に方だけはしたくありません。

私自身は子どもの頃から人の死に近いところにいたため、常に“生と死”について向き合ってきましたが、ほとんどの方はある程度の余裕が出てきた40代後半や50代で考えるのではないでしょうか。『ムサシ』を観ると、いかに生きることと命をおろそかに考えているかを痛感させられます。唐突に命を奪われた身近な人や、産んであげられなかった自分の子どもに恥じないよう、しっかりと地に足を着けて生きていこうと思った次第です(でも、愚かなので、三歩歩くと忘れてしまうのですが……)。

チケットが取れなかった方、立ち見でも観る価値はあります。ぜひ、ご覧になってみてください。今回は、上海での上演もあります。